優作&I(優作と私) HOMEに戻る

タフに生きろ,見せかけのやさしさはもういらない

 とにかく大好きだった工藤ちゃん。「探偵物語」って知っている?。あんまり詳しくない人だと,薬師丸ひろ子と共演した角川映画の「探偵物語」を思い浮かべるかもしれませんが全く違います日テレの連続TVドラマです。とにかく毎週楽しみだった。最初に見たのは小学生の時だったのかな?その後何度か再放送を見ましてVIDEOに録ったりして。

 まずその魅力の代表選手が工藤ちゃんをとりまく街の仲間達。どこからか拳銃を調達してくる映画好きの怪しい古美術商の飯塚,娘がいることを隠したがるダンディ,工藤ちゃんを先生と慕うイレズミ者(初代と二代目がいましたね),ダイナマイトボディで女弁護士のマサ子ちゃん。あと盗品を鑑定するおっちゃん(酒が好きなんですよね)やらトルコ風呂のお姉さんやら街でふらふらしてる三郎などなど。そうそう、ナンシーとかほりを忘れちゃいけませんな。「工藤ちゃんといるとなんだか楽しい」っていうのが彼女たちからも伝わってきたね。時には探偵さんを助けてくれたりして。それからやっぱり工藤ちゃんの天敵,服部さんと松本刑事。彼らの傲慢さと工藤ちゃんの軽いかけひきが最高に面白かった。成田三樹夫さんももう天に召されちゃいましたね。残念。(あの金槌はまだ日テレの倉庫にあるのでしょうか(笑)?)

 それから,このドラマには今のドラマには絶対できないであろう「遊び」があった。イレズミ者が急に無敵になって鉄砲の弾をドスではじき返したり,警察署の中でストリップショー(警視庁ナンバー1ショー)がはじまったり,工藤ちゃんが急にTV画面に向かって話しかけたり・・・・・・・。前後関係や番組の流れは無視してでも「楽しくやろうぜ!」ってゆう勢いがスタッフや出演者にあったんでしょう。きっと現場は毎日愉快だったんだろうなあ。(優作が怒り出すとそうでもなかったかも・・・・)

 とにかく工藤ちゃんは小学生時代の我々にはとても魅力的な大人だったのだ。街を歩けば仲間達が声をかけてくる。月一回の自分だけの晩餐。シェリーにキャメルにベスパに火力最大のカルティエのライター。何にも縛られずに生きる「探偵」という職業を選んだ自由人の工藤ちゃん。(もちろん当時の私には工藤ちゃんの暗い過去などは知る由もなかったが。)いつか私も大きくなったらモノトーンのスーツが似合うようになりたかった。

 いつだったか,しばらく探偵物語のことを忘れていた頃,「探偵物語のLD発売!」の知らせを聞いた。(たしか数年前だと思うが)その時に「どうして今頃」と思った。もう誰もが探偵物語の存在など忘れていると思ったからだ。ところがレンタルビデオ店に行って驚いた。1巻からズラ〜っとビデオが揃ってるじゃないですか!?10年以上前のドラマだぞ!? もうすでにTV放送のビデオは全部録ってあったが,なんだか欲しくなってしまった。そこで「どうせならビデオではなくLDを揃えよう。そして自分の息子に,これが昔父ちゃんが夢中になった俳優だって見せてやろう!」と思ったわけ。

 ところがLDが何処に行っても見つからない。都内はおろか自分が住んでいる神奈川県内をかけずり回って,やっとこさVol.1のみ手に入れた。でも2と3がなければ意味がない。最後の最後には東映ビデオに電話して泣きついた。そしたら担当者が非常にいい人で,大宮にある小売店を紹介され予約までしておいてくれた。そんな思いでや〜っとこさ全巻揃えました。しめて68,000円也!でも不思議と高い買い物だとは思わなかった。ちょうどそのころ「蘇れ!探偵物語〜松田優作にもう一度会いたい」という本を八重洲ブックセンターで発見した。番組が終わっても工藤ちゃんファンがまだまだいることを知ってとっても嬉しいと思った。

探偵物語の裏側

 それからも工藤熱は冷めることを知らず、「蘇れ!〜」に「工藤のオフィスは神田の病院をロケに使った」と書いてあるのを発見するとすぐさま友人と連れだって夜中に神田へ。同和病院っていうんです。当時はまだあったんですよ。これが。(残念ながら98年末に取り壊されてしまいました。だいぶ反対したんですけどね・・・) でね、悪いとは思ったけど外階段から上に登って工藤ちゃんのオフィスの扉を見たときには本当に感動した。思わず写真をたくさん撮った。「工藤ちゃんはここにいた・・・・・・・・」。他にもナンシーとかほりがよく傘付きのテーブルで食事をしていた,ルーフバルコニーもあったし。また、この建物の下の階には劇場だか舞台みたいなところもあって、ここも探偵〜で使われてましたね。(オカマのチーコを殴ったチンピラを,工藤が懲らしめたシーン)それから建物を出て、向かいにあるホテルの屋上からオフィスを見下ろした。そうすると,あのオープニングで工藤ちゃんが踊りながら自分のオフィスに向かっていく場面と同じ角度で現場を見ることができた。これまた感動!左が工藤ちゃんのオフィスの扉の前、右は探偵事務所の建物の入り口です。しかし今この写真を見ると馬鹿ですねえ。でもそうとう嬉しかったんです。


この工藤探偵事務所をもっときれいな写真で見たい方は右の写真をクリックしましょう!ここは"なんじゃあこりゃあ!"という素敵なページです!(Special thanks to Mr.Yoshiyuki Abe)
「いったいどこにあったの?」という方からの問い合わせが多いので地図を作成してみました。こちらを参照して下さい。でもね、昨今の優作人気に乗ってたくさんのファンがここへ詰めかけて付近の方々に多大な迷惑がかかっているようです(侵入しといて言える立場ではないが)。マナーを守りましょうね!工藤ちゃんはそういうことにはうるさいもんね!!「おまえな!」って叱られちゃうよ!

 あとね、最終回に工藤が暴力団を次々と抹殺していく中で,国道246号の上の歩道で刺殺するシーンがあるわけですよ。工藤ファンにはお馴染みですな。この場所が知りたくって当時中古で買ったベスパ(残念ながら青色で50ccでした)にまたがり、あちこち走り回ってやっと見つけました! 日産建設という会社の近くです。このシーンがなんか妙に好きでね。ここと先ほどの工藤のオフィスは当時のまま今でも残ってるんで、優作=俊作ファンは是非行くべし!
 あと、工藤ちゃんが最終回に刺されるシーンは原宿のZESTです。表参道と原宿の中間、シェーキーズの裏あたりです。もうあのまんま。工藤ちゃんの刺された壁にもたれて「身も心も」を歌いましょう。

 「六本木てまり」というBARに親父の代から世話になってるんだけど、そこに前田の哲ちゃん(俳優の前田哲郎さん)がいた。そう。イレズミ者PARTU。もう根っから優作に惚れ込んで一緒に劇団時代から芝居をやってた。哲ちゃんにはいろんなエピソードを聞かせてもらいました。それこそ優作の棺箱をかついだくらい,優作とは近しい人だったわけですからね。一緒に優作の墓参りも行きました。イレズミは「兄貴!久々に来たよ!」と言って一生懸命お墓の周辺を掃除して、お線香とお花を供えておりました。掃除している間も何かと優作に話しかけるイレズミをみてなんだか羨ましくなったのを覚えています。
 その後も何度か昔話を聞かせてもらって,とても楽しい時間を過ごしました。でも一番嬉しかったのは,まだ売れない頃の優作がしていたという布のベルトと、イレズミが撮影当時履いていたブーツをもらったこと。これらは私の宝物です!

 下北沢にある「レディジェーン」といえば優作ファンなら誰しもが知っているバー。私もここに通わせてもらうようになって数年たつ。優作が残していったボトルも見せてもらった。通常はOLD CROWを飲んでいたようだが、そのボトルはEARLY TIMESだった。優作が往ってしまった後,原田芳雄氏がテープでぐるぐる巻にしていたので,彼が帰ってくるまでそのまま棚で待っていることでしょう。(優作ファンなら誰もが知っている不思議な符号ですが、このボトルのキープナンバーは"116"。そうです。なんと彼の命日11月6日なんです。優作の友人だった金子正次氏も同じ日。)
 この店には天井にブラックレインのポスター,そしてトイレ前の壁には葬儀の際に遺影に使われたのと同じ写真が大きく引き伸ばされて飾ってある。この店は,ジャズをレコード盤で聞かせてくれて,日曜日にはジャズの生演奏もあります。オーナーは各界芸能人とも親しい大木雄高氏。優作に会いたくなったらここへ行って魂の洗濯をしています。(しかし,姉妹店の六本木「ロマニシェスカフェ」が98年1月をもって閉店というのが何とも悔やまれる。石橋凌さんや桃井かおりさんなんかと優作はここで飲んでいたそうだからねえ)

優作の死

 これはきつかったなぁ。当時私は成蹊大学という吉祥寺と三鷹の中間にある大学に通う3年生だった。優作の死を知らせる新聞に目を疑い、あちこちの友人に連絡を取ったのを覚えている。亡くなった病院は学校のすぐ近くの西窪病院。しかも葬儀が行われた場所も学校から数キロの場所だったため,ベスパで行ってみた。人が大勢押し掛けていたので中を見ることはできなかったが。私の友人(同和病院に一緒に行ったヤツです)はこの後,火葬場まで車で付いていった。気持ちはよく分かる。
 翌日は喪服とまではいかないが,黒の上下を着て大学へ行った。当然、彼女にも黒を着るように強要した。僕らなりの供養だと思ったからだ。で、家に帰ってから、優作が愛用していたマルボロと優作の写真を1枚焼いた。「ありがとう優作。しばらくゆっくり休んでくれ。また会う日まで。」
 しかしあれからもう8年も経ってるんですね〜。早いなあ。こないだ彼の最後のTV生出演となった「おしゃれ30-30」(今の「おしゃれ関係」ですな)という番組をビデオで見返して改めて優作に会いたくなった。早く戻ってきてくれ!今の日本映画界はつまらなすぎる!優作と村川と丸山で新作を作ってくれ!

「復讐遊戯〜蘇る鳴海」とか!!

そして今・・・・・

 ここしばらく、優作ブームだという。若い優作を知らない世代が、優作という俳優の存在を知って驚いているらしい。息子の龍平の影響もあるかも知れない。でもここで思うのはやっぱり「本物は世代を越えて語り継がれる」ということだ。亡くなって伝説になった俳優にジェームス・ディーンがいるが、彼は人気の絶頂で自動車事故で衝撃的に亡くなった。しかし優作は人気絶頂だったわけではない。二枚目だったわけではない。ましてアイドルではない。しかし彼が10年以上立った今も、人々の心の中に生き続けるのには訳がある。その訳を、優作が伝えたかったことを、これからも考え続けていこうと思います。

 ですから、みなさんにもお願い。ブームに乗って一時的にファンになる人はしかたないからいいとして、もし本当に優作の魅力がわかった方は、優作の映画をもっともっと見てください。彼の思いや魂はフィルムに焼き付いています。そしてそこから自分なりの"松田優作"を見つけて下さい。

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