勝手に人を分類しよう! Update:2003.12.12. 世の中には2種類の人間がいる。それは白い人と黒い人である。この白黒の定義については極めて私個人的な裁量で決定されるのでそのロジックを公開せよと言われても不可能である。人々は私の大脳で勝手にジャッジされ、勝手に白と黒に分類されてしまうのである!どーだぁ、マイッタかぁ〜!わ〜っはっはっはっは(笑)! ・・・・・・ウップス、大変失礼しました。 しかし実際は、人間本当の姿なんてきっと死ぬまで他人には見せないから、ある人のコアの部分は誰にもわからない。(これは「心の闇」のところでも書いたね)つまり「真の白黒」はわからないのである。が!しか〜し!表面、あるいは一皮むいた脂肪の部分で、その人がどんな人間かはある程度判断することはできる。その部分を色分けしたのが今話題の(勝手に僕が話題にしているだけだが)黒い人、白い人である。 人間は生まれた瞬間は文字通り純真無垢である。漂白したように真っ白な心でこの世にリリースされるわけだ。私は基本的にこの性善説を信じる。しかし成長の過程で様々な外的要因、内的要因を受けて徐々に徐々に黒く染まってゆく。ただ全ての場合において黒が決して悪いわけではない。黒は強烈なユーモアになることもあるし、人を鼓舞することもある。黒い本音を言わないと信用されず人間同士のコミュニケーションがとれないこともある。そうなんだけど、やっぱり目指すべきは白い人ではないか。
これとは別に人を分類するもう一つの方法を思いついた。主に会社員の知り合いを当てはめると面白い。以下のメイトリックスを参考に自分をあてはめてみて欲しい。ちなみに僕は王様(笑)。ま、そんなもんだろ。 通り過ぎた想い出に Update:2003.11.1. バブルの余韻を引きずる20世紀末のとある春、私は20数年共に暮らした家族と離れる決心をした。別に親兄弟と喧嘩したわけでも、通勤時間がつらくなったわけでもなく、とにかくそう決めたのだった。今から考えれば理由らしい理由はひとつだけ。24時間の自分の時間を自分自身の稼ぎで生み出したいそれだけ。ほとんどの人間は生まれたときに家族と同居している。そしてほとんどの人間は死ぬ直前まで新たな家族と同居することになる。その2つをつなぐプロセスとして「一人暮らしのプロセス」を経験するかどうかはその人の選択である。私は家を出ることにした。自分には一人暮らしのプロセスが欠けると人生の深みも渋みも味わえないような気がしたのだ。そんなことではいつかネスカフェ・ゴールドブレンドのCM出演の依頼が来たとき困るじゃないか。ともかく、その旨を家族に告げた。(ネスカフェの話ではない。念のため) うちの家族は世間様の平均レベルよりもたぶん家族の絆が強い。男4人兄弟というと、むさ苦しく殺伐とした緊張感のある、北斗の拳の暴走族がたむろするようなそんな家庭を想像するかも知れないがうちは違った。両親が米国で結婚し、米国流のハイソサエティでソフィスティケイトされた教育を施したせいであろうか(ちなみにうちの両親は自分たちのことを「ダディ、マミー」と呼ばせていた。私は小学校高学年なる頃までどこの家でもそうなのだと信じて疑わなかった・・マジで。)。子は親を尊敬し、クリスマスや誕生日にはお互いにプレゼントを贈り(これは今でも続いている)、何か祝い事があるときには家族が都内のホテルに集合して豪華なディナーをとった。札幌にいる母方の祖父母に会いに行くときは千歳空港まで運転手つきのリンカーン・コンチネンタルが小汚い小学生の兄弟を迎えに来たものだ(この車は現在うちの父が引き取っている。僕が生まれた年に製造された車なのに今でもピンピンしているのだ!)。なんかちょっとバタくさい家族だ。嫌みに聞こえたら申し訳ないがホントにホントなのだ。これだけでも私が一般庶民からかなりかけ離れた人間であることがよくわかるだろう。エヘンエヘン。(坂本竜馬風) 話が横道にそれたが、そんなわけで絆の強い家族なのだが、それでも私が家を出ることに両親も兄弟も特に驚かなかった。驚かなかった理由のひとつには年齢がある。当時もう25歳。トシちゃん25歳なのだ。独り立ちしてもおかしくない年齢だった。アフリカのなんとか族なら割礼の儀式を受けて、足にひもをつけてヤグラから飛び降りる年齢だ。しかし家族が驚かなかったのは年齢の問題だけではなかった筈だ。たぶん家族の誰もが心の奥底で「このままずっと家族ごっこは続かないよな・・」という思いがあったのだと思う。ある程度の稼ぎができた私は快適な楽園ネバーランドから、鬼がのし歩く渡る世間に自分自身を追い出してみたのである。ネオがマトリックスを出て現実を知るのとちょっと似ているような気がするが、それはやっぱ気のせいだと反省している。きっと家族は「ついにこの時が来たんだなぁ」と思ったに違いない。 そんなわけで私の住みか探しが始まった。最初は週刊賃貸とかその手の雑誌である。ビギナーはここからスタートする。しかしこれは失敗だった。「こいつはいい物件だ!」と思って実際に不動産屋に行ってみると「あ〜それは決まっちゃったんだよね〜」とか「あ、そこね。地下だから窓は無いけどいい?」とか「5階だけどエレベータないから」とか言うのである。そして決まってこう言う。「ちょうどね、お客さん向きの物件があるんだよ!」って。「さらうぞ!てめぇ!おいらはこの物件が見たくて来たんだっつーの!」とは言わなかった。これが奴らの生きる道なのだ。つまり雑誌に載せる情報は「客寄せパンダ」なのである。キャバクラがB級アイドルの写真を勝手に使ってチラシをまいているのと同じ手口だ。そんなわけで雑誌はやめた。インターネットもまだそれほど普及していなかった時代、結局情報は足で稼ぐことが有効だとわかった。土日はバイクで不動産屋めぐりである。当初これはこれで結構楽しかった。一番住みたい街は下北沢だった。アーバンでクールで希代のマイトガイな私には下北沢の風がぴったりに思えた。ところがここは家賃が高い。駅から遠くても当時1Kで8万円以上したのである。下北沢の風はかなりの北風であったのだ。クレバーな、絵になる男である私はムーンウォークで下北を去った。そこから小田急、京王、東横など各線を探したがイマイチだった。そんな時に「なんの気なし」に入った代々木上原の不動産屋に掘り出し物があった。代々木上原駅徒歩5分。商店街に近く、食い物には便利。銭湯もコンビニも郵便局も近い。これで7.9万円なら安い。違いのわかる男である私は速攻で飛びついた。一瞬この「安さ」が気にはなったが、もはや人が首を吊ってようが、自縛霊がついてようが、両隣が山口組と一和会であろうがどうでも良かった。もうこの頃には部屋探しにうんざりしていたのだ。たしか敷金・礼金と不動産屋の手数料を併せて5ヶ月分を払った。 夢の一人暮らしが始まった。小さくても城である。衛兵も門番もいないが城である!カリオストロ伯爵なのである!渋谷で飲んでも歩いて帰れる!新宿で飲んでも(気合いを入れれば)歩いて帰れる!六本木で飲んでも(命をかければ)歩いて帰れる!そして何よりも「24時間」を手に入れたのだ!これは大きな経験となった。毎晩、友人を招いてはどんちゃん騒ぎをやった。夏は窓を開け放ってビールに野球観戦。冬は鍋だ。年末はクリパーだ。夜は代々木公園までランニングだ。土曜日の昼食はクックドゥだ。麻雀もやれば仕事もする。夜はシアターへ早変わり。俺は一人暮らしの王だ。英語で言えばキング・オブ・シングル・ライフだ!ラックス・スーパーリッチだ!そして足は中型のバイクだ。どこへでも行ける。何でもできる。タフでクールでセクシーでプリティな俺はアーバンライフを満喫したって寸法さっ! たった2年だけのシンデレラのような期限付きの経験だったが、この時のことは一生忘れられない。今思い出しても目頭が熱くなると同時に酸っぱいゲロの異臭が鼻を突く。まぁこんなシチーボーイの私にもそれなりの青春の熱い想いがあったわけだよ、アニキ。セントエルモの火だよ、ファンダンゴだよ。(ちなみにこの部屋はこの後、会社の後輩に譲った。彼も満足していたようだ。私は伴侶を迎え田園都市線に引っ越した。) なんか何の話を書いているのかわからなくなったな。この辺でやめよう。今でも千代田線で代々木公園、代々木上原を走ると当時を思い出す。あの熱かった時代。俺たちの時代。はかなくも美しく病めるようできらびやかな悩ましき想い出たちよ・・・永久に・・。しかし代々木公園駅はなんでクラッチ臭いのでしょうか。教えておじいさん。 哀愁パンツ Update:2003.7.28. 前回がちょっと暗めの話だったので、今回は更にダークにしましょう。会社で健康診断を受けさせられた話。それ自体は毎年のことだが今年はちょっと違う。なんと言っても35歳特別検診だったのだ。ひらたく言えば「うんこもってこ〜い!」ってことだ。検便である。検便なんて実はこの人生で一度もやったことがない。ギョウ虫検査はある。小学校時代だったか、とにかくワンワンスタイルになって菊の中心部にセロファンを押しつける方法で学校へ提出したのを覚えている(菊池桃子のギョウ虫に関する都市伝説はもはや有名であるが今回は関係ない)。しかしどういう訳か検便だけは経験がない。年とった人だと「昔はマッチ箱にうんこ入れて、うんぬんかんぬん・・・」とか変な自慢をされる。人は検便話が大好きなのである。 戦いは前の晩からはじまる。夜9時以降は飲食ともに禁止。それは何とか我慢できる。そして夜、検便・・・。知ってますか?今の検便を!まず洋式便器の陸地部分にトイレットペーパーを敷き詰める。次に、おもむろにトイレタンクにハグをするように逆向きに座るのである(便宜的にこのスタイルをハグ・スタイルと呼ぶことにする)!つまりうんこを海に落とさずに陸地で確保しようという作戦である!なんて間抜けなハグ・スタイル!現代のテクノロジーは月へ人間を送って帰らせることができるのである!地球の裏側の人とお話もできるのである!遺伝子操作でクローンだって作れるのである!あぁそれなのに、それなのに・・・・僕はトイレのタンクを抱えてうなっているのである。当然出ない。いつもは自分の意志とは無関係に出動しまくる僕の分身たちは今日に限って(やはりこのハグ・スタイルにかなりの違和感を覚えているに違いない。)出動を拒んでいる。何回かのトライののち、ついにリリースに成功。次に、尻も拭かずにうやうやしく「耳かき状の棒」を所定のケースから取り出す。彼らの表面を棒で撫でる撫でる。棒についているギザギザの部分に彼らを付着させるのである。それが終わるとケースに棒を戻す。ここでやっと尻を拭く。流す。なんて間抜けなんだろうか・・・・。母さん、おいら泣けてくるよ。同じ作業をベッカムがやってもきっと間抜けに見えること請け合いである。この悲しみのハグ・スタイルは翌朝にもやらされた。(2回分を提出する仕組みなのである) 当日。検診会場に赴く。某巨大銀行グループ系である当社はこの銀行の健康診断に乗っかっているのである。巨大な会場で身長、体重、視力、血液検査、心電図、レントゲン、問診を受診。なんだ、検便以外は普通の健康診断と一緒やんか〜、と安心しかけた所に落とし穴があった。胃の検査である。会場の隅の受付で健康診断カードを男性に渡すと、「はい、じゃそこのドアから出て階段を下りてください。外に車がありますので2号車へ」と言われた。雨が降るなか、一旦外階段を歩かされるのである。確かに車が3台ほど停車している。大型バスのようだ。バスの後部入口では茶髪、白衣の姉さんが傘を持って待っている。「2号車ですか、じゃ〜車内で服を脱いでください」心なしか彼女の口の端が笑っているような気がする。気のせいだろうか・・・。 上着とYシャツとTシャツを脱ぐ。「ズ、ズボンも・・・ですか?」「はい、ベルトのバックルなんかがあるとうまく写らないので下着になって下さい。」「・・・・・・。」ちなみに機械でうもれた狭い車内には2名程度の例の茶髪のお姉さんがいるのである。年の頃はそう、、、25〜30くらい?その前でパンツ一丁になる。パンツ、汚れてなくてよかった。脱いだ物を丁寧に畳む気弱な俺。「はい、これ飲んでください。」バリウムである。これが噂のバリウムなのである。白くてドロっとして・・・・とにかく飲んでみる。量は250mlは余裕でありそうだ。飲んでいる途中で「これ、、恐ろしくまずいですね〜」とギャグを飛ばして見るも「飲み物じゃありませんから。じゃ全部飲んでください。」とあっさりかわされる。きっと100人のオヤジがいたら100人ともが同じような事を言っているのだろう。それを散々聞かされている彼女らにとってはこの程度ではちっとも面白くないのである。よっしゃ、もっと面白いことを言ったろうかいと思ったが時間の都合上諦め、バリウムを飲み干す。すると次に「これ発泡剤です。お腹を膨らませるために飲んでもらいます。飲んだ後ゲップはしないようにしてください」と細い棒状の銀のパックを渡される。風邪薬の顆粒のようだ。水と一緒に飲む。と同時に「ウグェップ!」と強烈にゲップを出してしまった。姉さんは俺を睨みつつ、「ではこちらの部屋へ」。 案内されたのは4〜5畳ほどの狭い機械だらけの部屋である。蛍光灯の明かりが妙に暗くて怖い。真ん中にベッドらしきものがある。「らしき」と書いたのは、それが別に柔らかいわけではなく、塩ビ素材かなんかが剥き出しの単なる分厚い板であるからだ。入り口は閉まりマイクを通して無機質な声の命令が届く。「そこに寝てください。」これで手足を縛られたら仮面ライダーの改造手術である。などと思っていたら「寝ながら右回りに3回、回ってください。ゲップはしないように!」・・・なんて事だ!俺はパンツ一丁の情けない姿にされた上に変な台の上で踊らなければならないのである!医者の言うことだから聞かない訳にはいかない。しかし心の奥底では「これ、どっきりカメラじゃないだろうなあ・・・」と考えていた・・。だって冷静に見たらかなり間抜けな絵である。もし今「回ってからワン!と言って下さい」と言われれば間違いなく言うであろう・・・。そしてそれはテレビ的にはきっと「おいしい絵」なのであろう・・・・・。 運動するために胃の中の発泡剤が活性化する。もはや胃は破裂しそうである。・・・我慢しながら回転終了。「じゃぁ検査しま〜す、右腰をあげて!もっと!次は右回りにうつぶせになって!はい!左腰を上げて!次はちょっと頭を下げます!」壮絶なバトルの開始だ!マイクの彼女は、右手のコントローラで意のままに僕のベッドを傾ける!ずり落ちまいと必死に手すりにつかまるパンツ一丁の男!スターツアーズ顔負けの体感型アトラクションだ!右だ!左だ!それ!回れ回れ!おいらは意のままに動くマリオネット!まな板の上の鯉さっ!さぁどんどん命令してくれ!きゃははは!たのしー!それっそれ!「すいません、バリウム足しますので一回降りて下さい。」「・・・・・・。」どうも僕の胃はバリウムを急速に吸収してしまったようだ。追加のバリウムと発泡剤を飲む。そしてスターツアーズ第二部が始まり・・・・。 へとへとになって洋服を付ける。こんな事なら受診しない方が体に良さそうである。ネクタイを締め直していると、カーテン越しに茶髪の会話が聞こえる。「さっきのさ〜オヤジ、そうそう!1250番のオヤジ!○○位のあとに○○位(どうやらレントゲンを撮るときの体位の名前らしい)をやる筈だったのに間違えちゃったのよね〜(笑)。」「うっそ〜でも時々あるよね〜。アタシもさ〜バリウムの量間違えたりしてるもん!」・・・・って、俺のことか!もう脱力しまくりである。二度と検診は受けないぞと心に思ったそんな夏の昼下がりだった。 翌日、お約束の白いアイツに面会できた。ほんとだ〜白くなるんや〜。友人は「これでイカスミを食べるとパンダちゃんみたいな色柄になるぜよ」と、無くても生きていける知識を僕の脳に植え込んでくれた。 心の闇 Update:2003.6.29. 人の「心の闇」には決して他人は踏み込めない。改めてそう感じることが起きました。同じ会社の僕よりも8つほど若い青年が事故で(そう信じたい)その命を天に返してしまいました。明るく、後輩の面倒見もよく、仕事も良くでき、しかも若い。当然結婚もしてなければ子供だっていない。人生でまだまだこれからやらなければならないことが山ほどあった筈なのに・・・。恋だって仕事だって、つらいことも楽しいことも、人に騙されることも人を幸せにすることも、これからたくさん待ち受けていた筈なのに・・・。「心の闇」が彼を連れ去ってしまいました。 今週はじめまで、共に残業して馬鹿話をしていたヤツが銀河系のどこを探してももう存在しないなんて信じられない気持ちです。以前、同世代の芸能人が自ら命を絶ってしまった時や、小学校の複数の児童が暴漢に襲われた時、そういう時に、すごく「嫌」な、一言で言えば「不快な黒い波」のようなものが心を覆ったことがありました。表現が難しいけど波が文字通り波状攻撃でこころの端の方から覆いかぶさってきた感じでした。何故だかわかりませんが、若い命が失われる時に私はそう感じるようです。その日一日はもう何をやるのも億劫でやるせなさと無気力感と深い喪失感。取り返しのつかない事をやってしまったような後悔に似た感覚。 早すぎる死は本人だけでなく、周りも不幸にします。今回の件で言えば共にチームを組んでいたメンバーたちです。きっと彼らは自分たちを責めるでしょう。周囲は「気にするな」とか「お前のせいじゃない」と慰めるでしょう。当然です。その解釈は全くもって正しい判断です。しかしここにも「心の闇」の問題があります。彼らの人生はもう以前のものとは少し違った角度に変わっているかも知れません。周囲の人間の介在できない所で永遠に解けない問題と向かい合っているのかも知れません。表面上は「大丈夫だ」と言っても一人になると考え込んでしまうのかも知れません。彼らの「心の闇」には誰も到達できないのです。ただ、ひとつだけ言えるとすれば、全く元通りの路線に戻すのは無理としても、ほぼ同じ方向に戻すにはやはり時間が必要だという事です。もし自分が同じ立場だったらやっぱり、とことん落ち込んで、自分の行動に何か問題がなかったか反省して、いやどうしようもなかったんだと開き直って、そういう自分に吐き気がしてまた落ち込んで・・・。 誰かが「神が人間にくれた最良の贈り物は忘却機能だ」と言ったのを聞いたことがあります。最愛の人や親が亡くなると人間は「もう生きていけない」と感じることがあるでしょう。しかし、それでも生きていかなければいけません。(少なくとも僕は、そう思う)神はそういう人のために忘却機能を付加してくれました。どんなに愛していた人でも、20年たてば多少はその気持ちは軽くなります。亡くなった直後は5分おきに思い出していた事も、30年たてば年に一度になっているかも知れません。「忘却」は人間が強く生きていくための不可欠な機能なのです。忘れろと言っているのではありません。背負う荷物の一部を神様にも負担してもらうだけのことです。また別な人は言います。「神はそれに耐えられる人だけに試練を与える」つまり乗り越えられる人にだけ試練を課す、というのです。つらい思いをしているときに「このつらさを乗り越えられれば別な道が開ける」と信じて頑張るということでしょうか。なかなか難しいことですが、今はその言葉を信じたい。「人間なんて弱いものだ」と思わずに「人間は運命を背負って立つことだってできるんだ」と信じたい。 昨夜、この世を後にした彼の、もう使われることのないメールアドレスにメールをうちました。「残念だ。でもまたいつか会えるからその日までさようなら。」 お勧め商品SHOW Update:2003.3.25. 今回は様々な商品で私が気に入った素晴らしいモノたちをご紹介しましょう。絶対お勧めのモノばかりですので、今すぐ購入することをお勧めします。ダッシュです。あ、そうそう、今日は僕の誕生日です。
革靴
冷凍チャーハン
アイスクリーム
スタバの鬼
餃子の母 サムライスピリットと小田急線 Update:2003.3.14.
ずいぶん前になるが、ビートたけしが著書の中で「震災なんかで家が壊れたとかいうと、すぐどっかに"補償しろ!"って言う奴が出てくるけど、一人くらい、"おいらは国には頼らない、自分の事は自分でやるぜ"って奴がいてもいいんじゃないか。」と言っていた。程度の差こそあれ、この意見の方向性には大賛成である。今、世の中的にどうも「誰かのせいにする」傾向が強くないか。 新年を迎え、取りあえず憤ってみよう! Update:2003.1.13. 明けまして。特に目出度くもないので。ま、よろしく。それでは新年一発目のコラムです。憤ってみよう!! やっぱり電車だ。どうしてもこの手のネタが多いな。まぁひとつ勘弁してください。電車通勤している人は、そこに暗黙のルールがあることを知っている。ここでいちいち上げないが、当然、皆がそのルールを守っているからあれだけの密室に大勢の人間が詰め込まれてもそれほどトラブルが起きないのだ。(たま〜にあるけどね・・) ところが地球には不思議なことにそういうルールを超越した輩がかならず数パーセント存在するのだ。そういうヤツがいると、付近の乗客はえらい迷惑を被ることになる。こないだそれが自分に起きた。
混んでいる横浜線で椅子の前の吊革につかまって立っていた私。今夢中になっている宮部みゆきの「模倣犯」(「蒙古斑」ではない。この人の本をはじめて読んだが、その描写の細かさに辟易した。かなりの描写マニアだ。だが、ストーリー展開はなかなか面白い。一読をお勧めする)に熱中していた。私のとなりには今時の若いあんちゃんがだらしない格好で吊革にぶら下がり、彼の正面で座席に座っている、ゴジラのような顔をした友人(女性)と話をしていた。ある駅に着いた。そこで僕の正面に座っていた会社員が降りた。(ラッキー、町田までかなりあるから、座って本が読める。こいつは春からついてるわい♪) ところが、である。次の瞬間、信じられない光景が私の眼前で展開された。私の斜め前、つまり、あんちゃんの正面に座っていたゴジラ(女性)が、なんと私の正面にスライドしてきたのである!私は我が目を疑った。こ、この女は、、、このゴジラ顔の女は、ルーマニアの宇宙人よろしく座ったまま平行移動しやがった! もちろん、このようなルールが電車の壁に貼られているわけではない。つまり公式ルールではないのだ。UNOをやっていて、「Draw Twoが偶数枚重なった時はDraw Fourを出してもよい」と言う全国民の80%が知っているようなルールも、ルールブックに書いていなければ所詮、ローカルルールなのである。UNOの世界大会(そんなものがあるのかどうか知らないが)ではそれは認められないのだ。 最早、私にはどうすることもできなかった。立ちつくし、気づかない振りで「模倣犯」(蒙古斑ではない)を読んだのだった。いや、正確にはひとつだけ手が残されていた。そう。私は本で顔を隠し、心の中であんちゃんと女性に対して呪いの呪文を唱え続けた。。。 |