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親友 Update:2001.12.16.

 俺は友人に恵まれている。人生においてかけがえのないものは友人であるかも知れない。何となくその親友達の中から無作為に選出した素敵な奴等を紹介しましょう。

 Aは大学時代の仲間だった。彼は元暴走族のメンバーだった。交差点に真っ先にバイクで侵入し、ぐるぐる回って交通を遮断するいわゆる「切り込み隊長」だった。チェーンでの殴り合いなど抗争事件も起こし、警察にもだいぶやっかいになった。後になって免許の更新で警察署に行くと、当時の刑事に肩を叩かれたそうだ。勉強はできなかったので、寿司屋に丁稚奉公に出た。が、何故か推薦入学が取れてしまったので大学へ。ここで彼の人生は一変する。その明るいキャラクターで友人を多く作り、パーティサークルを発足。その中からとっても美人の彼女を作った。手広く営業した結果、六本木中のディスコは顔パス、新宿、渋谷のヤクザとも親交が出来た。さらにはAV女優のスカウトマンまでやり、その時の紹介料らしき見知らぬお金が、今でも時々口座に入ってくるという(笑)。大学時代お金に困ったことがなかったのはそういう理由だ。大学を無事卒業後、某地方TV局に就職し、なんとアナウンサーに!。最初は台風の現場中継などをやっていたが、そのうちに出世してTV、ラジオ番組を持つまでになった。その地方で彼女(これまた美人)を作り、結婚。女の子を授かった。が、しばらくして離婚。買ったばかりのBMWをとられ、マンションのローンだけが残った。そんな中、TVのロケ中に事故に遭い、半身不随に。しかしその明るい性格と不屈の闘志でリハビリし、何と無事退院・・・・。すごい人生でしょ?まさにジェットコースター。俺はこいつに「半生を本にして出版したら?」と言っているんだけど。こいつとは大学時代につるんで散々「社会」にご迷惑をおかけました。あ、社会人になってからもやってたな・・・・・・・・。でもとても楽しかった。俺より一個若いけど、なんかウマがあうヤツ。

 Bは小学校からの友人。ワルで何度か泣かされた記憶もある。その度ごとに兄貴が仕返ししてくれたけど(笑)。高校時代もよくつるんだ。たばこは吸っていたし酒も飲んでいたし、いわゆる「ちょっと不良」だった。だけど男気があって、なんか人気のあるやつだった。Bとは浪人時代に新宿駅の「王様のアイディア」前で待ち合わせて、よく3本立ての安い映画をみた。マイケルJフォックスの「ティーンウルフ」とか、売れない時代のケビンコスナー主演「fandango」、青春映画の名作「セントエルモスファイヤー」など。授業を抜け出して(彼とは予備校は違ったが)男2人で映画を観て酒をあおる。なんとも楽しい浪人の日々だった。それぞれ違う大学に受かってからも親交は続いた。彼はハンドボールの選手だったのでその試合でうちの大学にも来たこともある。それぞれに彼女が出来てからも連れを含めて渋谷なんかでよく飲んだ。今はBは結婚し、父親の会社を継いでバリバリと働いている。金の使い方と酒の飲み方と人生の生き方が豪快なヤツで、そのくせ人に恩義せがましくない優しさを持つ。素晴らしい友人です。

 Cも大学時代の友人。実は大学時代はそれほど親交もなかった。卒業し就職し、俺は代々木で一人暮らしを始めた。そのころから異常に仲良くなった。よく女の子を交えて飲んだし、よく泊まりに来た。彼も松田優作のファンだったってことが大きかったのかも知れない。(彼は優作に握手してもらったという貴重な経験をもつ) 優作の代表作「探偵物語」の撮影現場に深夜に忍び込んだり、優作が行きつけだったバーを探して雪の下北沢を走ったりした。寒がりで甘党でテニスとギターはプロ級で、ヨコハマに踊りに行ったときは黒人も目をむくほどのダンスを披露したアイツ。とにかくめちゃめちゃにもてた。俺の友人の中でも超いけてるヤツなのだ。そんな彼は銀行マン。でも普通の銀行マンじゃない。愛車はポルシェ911。しかもこの歳で二台目のポルシェなのだ!ここまで有言実行で生きてきた彼だが、実は将来はイタリアに移住し、麻薬取引を経て大金持ちになるという人生設計がある。そして最後にはマフィアに撃たれて地中海に消える命なのだ。でもその前に特上のフェラーリを俺に送ってくれる約束になっている。今まで一度だって嘘をついたことがないんだから、これは期待して待っていることにしよう。

 こんなナイスな友人を持っているが、俺自身は何もできない。酒も強くないしスポーツだってできない。度胸もないし金もない(笑)。当然もてないし、勉強だって大嫌い。外に出るより家にこもっている方が好きなヲタクなヤツなのだ。何でこんなヤツにこんなに素敵な友人ができるのか不思議だ。波長っていうのがあるのかも知れないね。


年賀状 Update:2001.12.9.

 久々に更新します。前回更新から3ヶ月か・・・・。どうも最近ノらない。いまいちノらないのだ。一時期は喜々としてHPを更新したが、それはまだ皆がHPがこんなに一般的でなかった時代だ。今や自分の日記まで世界に暴露する輩も多いと聞く。しかもhtmlを全く理解しなくても自動的にできちゃうのだ。こういうのって苦労してPCの中身を理解したりDOSを使いこなしてきた人間が、windowsなんかに対して抱くのと似た感情なんだろうな。しかし日記だって?そんなもん、世界に公表してどうなるんだよ?とか思うけど・・・・・・。でも実際、ここでの筆者のぼやきも似たようなもんだ。それでも、こんなぼやきを仕事関係、友人関係が毎日チェックしてくれているのだ。(実は毎朝、アクセスカウンターを覗くのが趣味になってる・・・・。3ヶ月放って置いても毎日20〜40件のアクセスは必ずあるのだ。)PROXYを見ると、実に様々なところからのアクセスが見受けられる。いや〜、これはたぶんアイツだな・・・・・・とか(笑)。

 それはさておき、冒頭の通り、どうも最近ノらないのだ。そういうことでひとつ、唐突に決めた。来年は「年賀状を作りません」。なんかノらないから。これは社会人としては小さな反乱であり冒険です。小学校の恩師から、大学時代の先輩・友人・後輩、アメリカ時代の友人、今までお付き合いいただいた顧客の役員さん、もちろん自社の社員まで、今まで毎年160〜180枚は作成していたんですが来年はゼロ! 理由は簡単。「年賀状だけで繋がってどうするんだ?」って思ったからです。会いもしない人に「また機会を作って飲みましょう」とか嘘っぱちを書くのが嫌になったのです。機会は自分で作れるし、運命のいたずらで偶然再会することもある。それでいいじゃないすか・・・・・・・・・・・・。しかし随分勝手な生き方ですねえ(笑)。ま、とにかく来年はナシ。再来年は復活するかも知れないけど、とにかく来年はナシです。このページを見てくれているアナタ、私からは年賀状は行きませんので、ひとつよろしく。あぁひとつ自由になれた気がする。

 追伸ですが、「それでも」私に賀状を送ってくれた方には返信するかも知れません。それはまた、その時の気分ですな。こんな気まぐれ子猫なあたしを許して・・・。

 それでは何の脈略もないが「死に様占い」をどうぞ。アタシは「2月14日。ロッカーを空けた途端、大量のチョコレートがあなたに覆い かぶさった。死因:圧死、死因の種類:不慮の外因死、死亡した場所:ロッカールーム」だそうです。これもアリかな・・・・。


2001 Summer Vacation Update:2001.9.9.

 お盆明けの8月下旬から遅めの夏休みを一週間もらった。まずはずっと見れなかった映画鑑賞。こないだ「A.I.」を見たことは映画コーナーに書いたが今度はティムバートン監督の「猿の惑星」である。名作と言われた前作からもう何年経ったことだろう。未だ色あせないラストシーンの強烈さが記憶に残っているが、それをバットマンのティム監督は全く新しい観点から作り直した。すごくよかった。ラストもまた別な感慨深さを残した。それから頼まれていた知り合いのHPを弟と2人でリニューアル。というか、ほぼ1から全部作り直した。ここ、「道の駅とうごう」と言うのですが宮崎県にあるそれはそれはいいところです。一度だけお邪魔したことがあるのですが、観光地じゃないだけに荒らされていないし手つかずの自然が残っている。まさに日本の原風景。山々の美しさ、草原の風、ちょっと走るとキムタクもお忍びで来るという浜辺。素晴らしいところです。で、そこのHPを製作。

 それから、前々から気になっていたんだけど、マンションの「作りつけ」の棚を作り直した。と言うのも、棚の板の幅がないためにかなりの空間が無駄になっていて収納率が低い。そもそも収納の少ないマンションでこれは致命的な欠陥なのだ。かといって「作りつけ」のために新たな棚を入れるにも工事が必要。それにぴったりの棚なんてなかなか売っていないし、あっても高いし・・・・。ということでいい機会だからと図面を引いた。方眼紙に、欲しい棚の幅、高さ、厚さを計算して書いて、必要な板の数を割り出す。こういう作業って楽しいんですよね。ところがうちのアルカディア号(ティグラ・マグマレッド)にはとても乗らない。ということで日曜大工が大好きな父上に頼んで母のVOLVOで一緒に近所のUNIDYまで買いに行った。(ついでに金もださせた)設計図通り板を買い、実家で作業開始。実家には電動ノコギリその他道具は豊富にある。父と弟に手伝ってもらった(というか実質作業は、やってもらった)が、一日ではとても終わらず。実家に置き去りにして帰る。

 翌日は多摩プラのモンスーンカフェへ。都会にしかないと思っていた店が郊外に進出しているのにびっくり。しかも安い。22日は調布の花火大会。うちの超ルバ(超広いルーフバルコニー)から見れるのでとっても楽しみにしていたのに台風接近にともない中止!延期じゃなくて中止なのだ!すっごいショックだった。

 翌日、この夏休み唯一のイベントらしいイベントである葛西臨海公園への旅へ出発。10年ぶりくらいかな?前に来たのは大学生だったような気がする。平日なので高速もそうは混んでいない。着いてみてびっくり。水族園以外にいろんな建物ができて、公園も整備されていたのだ。良く晴れていたので展望台で海を見てから、家族3人で公園で海を見ながら持参したお弁当を広げた。私は外で食べるお弁当は決めている。それはオニギリ(鮭とオカカ)と鶏の唐揚げと卵焼きである!誰が何と言おうとこれがお弁当の王道なのだ。私は小学校の運動会以来ずっとそうしてもらっている。今回も妻にリクエストしたのだ。と、意気込んでるのもばかばかしいが、とにかく弁当はうまかった。娘もとっても満足。水族園でも巨大なマグロが目前を悠々と泳いでいる姿に圧倒された。娘も興奮しきり。さて、夕方になったがこのまま帰るのも惜しい。高速に乗らずに湾岸の道を東京に向かって走り、パレットタウンへ。ヴィーナスフォートへ立ち寄った。ヴィーナスフォートは以前にも来たことがあるが、女性のための全天候型テーマパークである。私はこの手の「人工の風景」が好きだ。石畳や描きわりの空などが屋内にあるのが好きなのだ。そう。同じ理由でディズニーランドサンリオピューロランドも好きだね(そういやディズニー・シー行ってみたいなあ・・・)。で、普通の人ならばここでブランドもののショッピングをするのだろうが、かみさんはブランドものに興味を持たない素晴らしい女性なので特にうろうろするだけ。ここで娘はダウンし、エスカレータ横のベンチでぐっすり寝てしまう。ヴィーナスフォートの中で私が一番好きなのはトヨタがやっているヒストリックガレージだろう。ここにはトヨタ車をはじめ、世界の名車がずらりと展示してある。なかにはトヨタ2000GT、フェラーリ・ディーノ、それから何とデロリアンまで置いてある。デロリアンが大好きな私はいつもここに立ち寄る。そろそろお腹が空いてきたので中にある「コバラヘッタ」とか何とか言うレストランでステーキ丼を食った。女性向きなのか量が少ないのが気にかかったが。それで満足して帰った。

 あとは牛角(焼き肉屋さん)に行ったり、会社の後輩宅へお邪魔したりしてまったりとした夏休みを終えた。たまにはこうした「特に何もしない夏休み」ってのもいいもんだね。よく食べたしよく寝た。思い返してみると子供の頃ってこういう夏休みの過ごし方だったような気がする。てことは、うちの娘もそうなるんだな。。。ようは親の手抜きか(笑)。


Mad Doctor & Hell Update:2001.7.8.

 胃の調子がどうもよくない。今までどんなものでも消化かして運湖(あえてこういう字をあててみる)を製造してきたわたしの強力なパートナー、スーパーストマックについにガタがきた。会社の健康診断では腎臓に異常(クレアチニンという奴の値が平均値より高かった)とのことで再検査だったが、どうもそうではないらしい。自覚症状は胃である。胃に異物感。う〜ん。とりあえず近所の胃腸科外科に行ってみる。

 まずは血液検査。B型とC型肝炎の検査である。血を採るのは嫌いではない。なんか体が軽くなった気がするからだ。時々献血するのは奉仕の精神というよりはそっちの理由によるものである。採血され、翌週土曜日に検査結果がでる。C型はマイナス反応。ところがB型がプラスマイナス!え?まじ!?医者に聞く。「この検査は簡易のものなので詳しく調べないとわからない。詳しい検査を保険で賄うことはできないので、とりあえず簡易のものをやった。ま、心配するな。今日もう一回採血して来週また来い。」と脳天気なお返事。このお医者さん、目がギョロっとして、ちょっとバック・トゥ・ザ・フューチャーのドク博士の雰囲気である。嫌いではない。とりあえず言うことを聞く。

 さらに翌週。再検査の検査結果がでる。ネガティブ反応である。OK。肝炎も梅毒も何もない。血液は少なくとも健康体である。よかった。で、胃カメラはさらに翌週に持ち越されるのであった。

 さらにさらに翌週。胃カメラの日。車では来るな、と言われたが車で来た。自分に自信があるからである。タオルを持ってこいと言われたので持ってきた。これは言うとおりにした。何か汚すとまずい事態でも起こるのだろうか。6番の番号札をもらって待合室で、買ったばかりのスピナー読本を見ながら時間をつぶす。やがて処置室から「か〜わ〜せ〜さ〜ん」とドクの声が。呼ばれて中に入る。まずはいきなり右肩に注射である。「痛いですよ」とストレートな看護婦。う!確かに痛い。麻酔らしい。次に、チキンナゲットを買ったときにケチャップを入れるためについてくる容器のようなものを渡される(プラスティック製)。これに茶色い液体が入っているので飲むように言われる。苦い。これも麻酔なのか?説明はない。さらにその次が最悪だった。看護婦が中型のビンからスプーンですくいだしたどろっとした透明なジェル状の物質を持って待っているではないか。こ、これを口に入れるのか!?その通りである。しかも今度は飲んではならない。およそ10分間、口の中(しかも喉の方)に浸して待つのである。阿呆のように上を向いてである!これは苦しい。診察台に座り、後方に腕をついて顔を上向きにする。口の奥には無茶苦茶にがい、常温の気持ち悪い物質が・・・・。まるで巨大アメーバが喉に取り付いたようだ。理解できますか?苦痛の10分が過ぎると看護婦が「飲みなさい」と無情に言い放つ。まるでSMビデオのラストシーンのようだ。とりあえず飲む。選択の余地はない。ううっ・・・・・・・・・死ぬほどまずい!TV関係者青汁を罰ゲームにするよりこの方がよっぽど効きます。これで終わりかとおもったら、またマックの容器に茶色い液体が。「これでうがいをしてください」とのこと。やっとこれでキレイになる、と思ってその液体を口に入れるがこれまた苦い!恐怖の液体地獄である。

 と、喉の奥の感覚がなくなってくる。痺れてくるのである。まあ、そうなってくれないと困るのだが・・・。不気味である。吐きそうである。すばらくすると看護婦から「こちらへ」と導かれる。入っていくのは、生まれて初めて入る手術室である。もう心臓はバクバクである。実はわたしは以前、学生時代に酒で無茶をしたあげくに血を吐いて救急車に乗り、(しかもスキー場)病院で胃カメラを飲んだ経験がある。でもあの時は意識が結構朦朧としてくれていたのである。今回は朝っぱら。覚醒しまくりやがっているのである。そんな私の網膜に認めたくない映像が飛び込んできた。それは・・・・。

 医者なのである。当たり前だ。手術室に医者がいなくてどうなる。しかしスキンヘッドなのである。黒縁の度の強そうなメガネもかけている。メガネの奥で瞳がランランと燃えている。しかもなぜか手術室は暗いのである。曇りガラスから外の光がやんわりと届いているが、何故細心の注意を持って医療技術を駆使するべきこの部屋が暗いのであろうか!?映画やドラマで見るとおり、天井には巨大な宇宙船のようなライトがあるにはあるが電源が入っていない!そして黒い革張りの手術台。さらには銀色の器具がトコロ狭しと並んでいる。看護婦も何か妙なたたずまいである。この場面、あなた、想像してみてください。薄暗い手術室にスキンヘッドの医師、そして怪しい看護婦・・・・。これは相当怖いです。これはもう人生最後の日と観念せざるを得ない雰囲気。気のせいか医師は薄笑いを浮かべているように見えたりしてくる(そんなこたねーんだが)。やばい。最高にやばい。オレはマッドドクターによってバラバラに解体され、様々な実験をされたあげくにバイオハザード(感染性医療廃棄物)としてポイされてしまうのだ。警察は行方不明者としてオレをおざなりに捜索したあと、忘れてしまうのだ。歴史の隙間におれのアイデンティティは埋もれてゆくのだ!きっとそうだ!そうに違いない・・・・。

 「はい、それじゃ〜手術台に腰掛けて〜」見かけの不気味さとは対照的にかわいい声を出す医師。もう観念した。私の華麗なる人生はこの小さな病院のこの暗い手術室で終わるのだ。アポロ13は絶望的状況から奇跡の生還を果たしたが、私にはその可能性すらない。「じゃ〜口を大きくあけてくれるかな?ちょっと最後のお薬を入れま〜す」口を開けると、霧吹きで異様に酸っぱい霧が散布される。スキをついて逃げようかと考えたが、もう少しマッドドクターの挙動を確かめてみることにした。もしかしたらヤツも組織から抜けたがっているかも知れない。奴と協力すればこの危機的状況を打破できるかも知れないのだ!「は〜い、じゃ〜横になって〜」いかん、これで縛られたら一巻の終わりだ。しかし!もはや体は医師の言うとおりに動いてしまうのである。こうなったらせめて麻酔で混濁したまま死にたい。この薬が良く効くように祈るばかりである。「はい、じゃあ横向きに寝てね〜。これくわえてくれる?」とダッチワイフの口のような肌色のマウスピースをくわえさせられる。ドーナツ型で真ん中に穴があいている奴だ。これでもう口は閉じられない。「あがががががが・・・・。」涎がたれそうになる。おもむろにドクターは黒い管を取り出す。これだ。いかにも胃カメラに見える。うまいもんだ。そしていよいよ喉に挿入。「ちょっと喉のところでひっかかりますけど、大丈夫ですからね〜」とマッドドクター。確かに喉に異物感があるが、麻酔のせいでそれほど感じない。するするの喉の奥に入っていく胃カメラらしき管。私に対してはきわめて親切な言葉を使うドクターも、看護婦に対しては小声で指示をだす。「○△□◇×・・・・」聞こえない。いったい何なんだ!?しかも胃カメラが映し出しているであろうモニター映像は、私の位置からは死角なので見ることができない。も、もしかしたらこの人たちは普通の医師で、もしかしたら画面にはものすごい酷い胃の内壁の映像が映っているのではないか!?やばい。オレ死ぬかも。やばい。こっちの方がやばい・・!胃と十二指腸を散々さぐられたあげくに管は抜かれた。途中、ドクターが急に無口になり、なにやら管の中にさらに細い管を通して何かやっていたのが気になったが・・・・・。

 検査は終わった。左肩にまた別の注射をされ、しばらく待合室でまたされた後、またドクに呼ばれる。「大丈夫だ。きれいなもんだ。ちっこいポリープが2個あったが、これは誰でもある。一応組織は取ったので検査してまた知らせる」と。終わってみれば、ドクはともかくマッドドクターはえらい名医であったような気がした。ちっとも痛くはなかったし、収支スムーズにことは運んだのである。後で聞いたら某有名大学病院の助教授だって。そりゃうまいわけだ。失礼な想像をしてしまった。てな感じで今は割と調子イイ。人間てのは現金なもので、原因さえわかっちまえば割と病気って直るのね。あ、でも来週、検査結果が・・・・。


A.I.見たよ Update:2001.6.24.

 先行オールナイトというやつでスピルバーグの「A.I.」を見た。朝いちで指定席をゲットして夜10時からの回をみたのである。悲劇とわかっている話だけにつらかった。スピルバーグにしては途中でコメディ的要素を挟まずにストーリーが進行する。ひたすらに母の愛を求める少年。う〜かわいそう・・・。がんばれDavid!伏線の貼り方も、画面のきれいさも、SFXも、少年の演技力(さすがは6センス)も、申し分なし。さすがはスピルバーグ。原案のキューブリックが生きていて彼が監督したら全然別の映画になっていたでしょうな。ラストも一応納得。見たこともない想像すらできないラストだった。泣けました。

 ここから下はネタバレなので未見の人は読まないように。。。ちょっと気になったところ。まずはお母さん。Davidに対して嫌悪感を持っていた筈なのに、何でいつの間にやらあっさり愛しちゃうの?(夫はもともとだけどさ。まあ編集でカットされたシーンがあるんでしょうね。)それから、Davidはジョーと一緒に警察のヘリを盗むんだけど、当然警察のモノなんだから追尾装置かなんかですぐ捕まるだろうに・・・。あと、ロボを作るからには「絶対に人間に危害を加えないようにする」筈なのに、なんで子供を抱いてプールに落ちたり、もう一人のDavidを殴って壊したりするの?アシモフのロボット三原則に反するじゃないか!(DavidのA.I.があまりに高度に進化して人間に近くなっちゃったのかなあ。)それから、これはスピルバーグ的手法なんだろうけど、病気から復活した男の子がヤな奴すぎないか?Davidの愚直性を強調するためなんだろうけど、ちょっと気になりましたねえ。あと、ロボットを破壊するパーティみたいなシーン。ここも過剰なつくり。いわゆる、悪・商売・骸骨・メタルバンド・炎・エキサイトする観客・暴力っちゅー単純な世界。そしてそこで命からがら助かるところは出来過ぎでしたね(笑)。ちょっと無理がある。最後にセックスがらみの表現の多いこと・・・。子供さんが見るにはちょっとねえ(笑)。

 いろいろ書きましたがいい映画です。タイタニックなんかより全然よかった。かみさんなんか号泣。僕もDavidが森に置き去りにされるシーンで泣いた。特に小さい子を持つ親はこれをみたら、絶対に虐待なんてできなくなると思うよ。絶対に観ましょうね!


21世紀初のGWの過ごし方 Update:2001.5.6.

 4/29は6回目の結婚記念日。たまプラーザの焼肉店で友人と祝杯をあげる。ニクの日ということで散々飲み食いしたにも関わらず一人3000円。安〜。素敵な記念日となった。
 翌日のメーデーはいよいよGW唯一の巨大イベント、旅行である。今回はインターネットで適当に調べた温泉付きの高原ホテル。朝8時くらいに川崎ICより東名へ。途中足柄で食事したにも係わらずすいすいと走って9時過ぎには御殿場に着いた。右往左往したあげくに、今流行りの御殿場プレミアムアウトレットの無料駐車場に駐車。送迎バスに乗って楽々と現地へ着いた。しかし広さにびっくり。かみさんはガンガン歩いていたが、娘と私はぐったり。結局ブルックスブラザースでワイシャツとネクタイを購入。あと入浴剤を購入。腹が減ったので仙石原に移動し、友人のお勧めの蕎麦屋「梢月庵」へ。すっごく静かで、お婆さんがウェイトレスをやってる格調高いお店だった。ここで2段盛りをたべた(1500円)。こだわりの店らしく、味はなかなか。客も列を作っておりました。

 そして、ホテルへ行く前に道沿いにあった「星の王子様ミュージアム」へ。1500円返せ!って感じ(笑)。ま、それなりにがんばっているんだけども、なんせ夫婦共々「星の王子様」は読んでいないので。ま、サン・テクジュペリ が昔パイロットだったってことは学びました。そんだけ。以上、終了って感じ。で、いよいよ箱根ハイランドホテルへ。こじんまりとしているけど、とっても綺麗なホテルだった。夜になり、ホテルのフレンチレストランでディナーを食べて、娘と大浴場で温泉に浸かって寝た。サイコー。極楽。

 朝はゆっくり起きて、優雅にブレックファースト。その後、ホテルの巨大な庭園を朝の散策。高原だけあって、ちょっと寒い。息が白い。小川や池や芝生を散策したあと、チェックアウト。車はホテルに停めたまま、すぐ隣にある「箱根ガラスの森美術館」へ。ここはすごい!天気も良かったので中庭も気持ちよかったし。騎兵隊みたいな格好をしたイタリア人たちが旗を振り振りと行進してるのが、若干悲しげだったけど。ここで自分にお土産を購入。それからここのレストランで並んでパスタを喰った。いや〜。うまかった。パスタ最高。クロックムッシュも最高。腹一杯になった。いつか大きくなったら4万8千円のベネチアングラスを買い来るぞ!と心で思って、美術館を出た。後で会社の人に聞いたら、この手の美術館はあちこちにあるが、ここは「大成功している事例」なんだって。確かに平日なのに混んでいた。私なりの分析でここの勝因は、路地感覚と建物の配置、なかなか出口に辿り着けずついつい土産物を買ってしまう建物の構造、本物志向の食事、リピータ確保のための作戦(半券がそのまま会員証になってる)等々と思った。どうでもいいけど。

 それから、ホテルに戻り車を出して、両親がいるというので山梨県韮崎へ。割と近かった。1時間くらいかな?父がポルシェを購入したというので運転させてもらった。いい車だ。それから両親も連れだって、須玉の鯉のぼりを見に行った。別に大したことなかった。無感動に雄大な景色。で、中央高速沿いにある一軒家のフレンチでステーキを喰って帰った。

 あとは近所をちょろちょろ走ってお茶を濁したGW。でも長くてなかなかいいGWだったな。ただ、翌週は月曜からフルに会社ってのがちょっとつらいとこだね(笑)。


生まれて初めてのアレといろいろ Update:2001.3.8.

 生まれてはじめてやった。そう。ゴルフ。今まで練習場には2度ほど行ったことはあったが(これ仕事で。岡山県のゴルフ場造成のお仕事だったのれす。)コースに出るのは初めて。会社でお世話になっているお客さんから誘われて平日にグリーンの上に立つことになったのだ。うちは親父がゴルフをやらない。親友もやらない。兄弟では兄貴が少々。そういう環境で育ってしまったので、マナーどころかルールすら知らない。(ハンディってなに?)でもせっかく誘っていただいたのだから、いこうではないか。我が人生に悔いなし、と死んでいこうではないか。

 しかしどうもて手ぶらで行ってもゴルフはできないらしい。どうやら以下のセットが必要なのである。まずゴルフクラブ。もちろんコースによっては貸してくれるが、それももったいない。これは大学時代の先輩に借りることで事足りた。次にシューズ。二度と使用しないかもしれないので安いのを購入しようとゴルフショップへ行ってみるも、非常に高い。1万円を切って欲しかったのに・・・・。で、これは兄貴のものを借りた。サイズ的にも丁度良い。次にグローブ。何とゴルフでは左手のみにグローブをするのである。左手のみのグローブなんて売っているの?と思ったらドンキホーテにあった。MIZUNOで900円。まあこんなもんでしょ。ボールは同行する後輩がロストボール(要するにへたくそ人間の打った球のリサイクル)を買ってきてくれた。さあ、これで完璧!と思ったらまだだった。記念すべき私の新たな門出の日だというのに天気が崩れるらしい。しょうがないのでドンキホーテで上下のレインコートを買った。

 当日は曇り。早朝より車で走り、9時過ぎに千葉県八千代市にある八千代ゴルフクラブまでに到着。ロッカーに荷物をしまうと早速練習場へ。鉄の棒を振り回すも一向に前へ飛ばず。で、スタート時刻である10時6分。くじ引きで1番にあたって、いざアウトコースへ。皆に見られて緊張の中、第一打はやはり見当違いの方向へ。結局パー4を7打叩きました。それを皮切りに奮闘、奮闘。ウッドを使うのも初めてだし、マナーもわからないし、寒いし、本当に奮闘。アウト9ホールを終わって、スコアは69。いいのか悪いのかさっぱりわからない。「初めてにしてはいいですよ!」というお言葉もいただいた。ボギーもひとつあったし。えらく寒かったので、昼食は豚汁定食。そしてインコースへ。ここまでもっていた天気が崩れだした。クラブは借り物なのでカバーを買ってつけてやった。ちなみにキャディをつけなかったのだが、カートはセルフで、ゴロゴロ引きずるタイプ。これが結構しんどかった。(経験豊富な人でもこれは初めてだったそうです)腰や肩が痛い。うまい人がすいすい一直線に進んでいくのに私は右へ左へ、カートを引きずってうろうろする。バンカーの無限蟻地獄を味わったかと思えば、パターのさじ加減がわからず行ったり来たり。しまいにゃ「それ、OKっすよ」という優しい言葉も頂く始末・・・。いかんいかん!結局78で終了。トータル147。寒くて風邪はひくし、カートのせいで体中痛いし、悲惨でしたが(笑)、とてもいい経験でした。天気さえ良ければ気持ちのいい一日だったでしょうね。今回のように気の置けない仲間とゴルフに行くならいいもんですが、ものすごく上手な人や気を遣いまくりの人の場合はちょっと大変そう。気合いがあったらまた行きます。

 ゴルフと関係ないが、ちょっと一言。免許の書き換えに行った。地元の警察署で書き換えが出来るのは便利だが、書き換えに何で2950円もかかるんだ!?何の費用なんだ?写真代の800円はまあ許そう。じゃ、できあがった免許証を郵送するのに何で900円もかかるんだ?もうこれは交通安全協会という、警察の天下り団体のために金を払っているとしか思えん!何とかしてくれー!悔しいから、安全協会のおやじの優良運転者安全講習とビデオの途中で帰ってやった(笑)。

 かみさんと私と娘で一気に風邪を引いた。きっつ〜。私の場合、風邪を引くとホットウィスキーを一気して、がーっと寝てしまう。するとたいてい直る。今回もこれで直した。娘は吐きまくり、かみさんは38.5度の高熱で苦しんだ。家事の大変さを学んだ。まだ子どもが一人でよかった。娘は医者に嫁がせよう。


21世紀と近頃のいろいろ Update:2001.1.28.

 年末年始といろいろありました。忘年会が5〜6回。金も結構かかりました。そして何と言っても従兄弟をひとり失いました。彼はまだ若かったのに事故で人生を終わりました。自分よりも若い人間が亡くなると、「運命ってなんだろう?」と考えさせられます。実際、なんなんでしょう?その人にはそれだけの時間しか与えられていなかったのでしょうか?深く考えてしまいます。彼の葬儀は北海道だったために私は出席できませんでしたが、手紙を書きました。何十年後かにまた会えるでしょう。

 新年はかみさんの実家で迎えました。孫を中心にとても歓迎され、楽しい正月でした。自分の家に帰ってきて初詣にも行きました。が、21世紀といっても何も変わらないですね。特に目標も立てなかったし、今年も無事で過ごせればいいと思います。のんびりしているうちに新年の仕事もはじまりました。と、とたんに寒波がやってきて雪がどっさり降った。しかも何故か週末ばっかり・・・・。
 自然天候に生活を左右されてばかりではつまらない。楽しんでみる意味で、今回のドカ雪では実家の庭に巨大な「かまくら」を作ってみました。「雪だるま」くらいなら誰もが作った経験があるでしょうが、「かまくら」はあんまりないでしょ?特に関東地方ではね〜。で、兄弟4人がかりでスノーシャベルで雪を積み上げる、積み上げる。巨大な塊ができたら、今度はそれを叩く、叩く。「積み上げるだけだと強度に不安がある」という兄の意見に従って・・・。こいつは「過去にエスキモーだった」のじゃないかってくらいにかまくら作りに精通している。不思議だなあ〜・・・。次にスコップで入り口をつくり、中の雪を掻き出す。段々穴が大きくなると、職人(弟)を仰向けにして穴の中に送り込み、天井部分を削る。これが大変な作業らしい。顔に雪がかかるし腕はつらいし。ここまでで約2時間。職人の作業と、中の掻き出しを数度繰り返してやっと完成しました。キャンドルを2つ、壁に埋め込んで火をつけると、何ともいい雰囲気!大人2人くらいなら入れる大きさの「かまくら」が完成しました。早速、娘とかみさんを入れて写真撮影。娘はキャーキャー喜ぶ。いい思い出になったでしょう。その後、兄弟で代わる代わる入って焼酎のお湯割りを飲んでみました。つかのまの北国気分を味わった冬の一夜でした。



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